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*2003年元旦 国内線1日移動日本記録樹立の旅 高橋泰 (2)

 2003年元旦、記録挑戦 元旦早朝5時20分に我が家を出発し、5時45分に羽田に到着すると、羽田の出発カウンター前のロビーは、普段の8時代より混雑していた。
閑散としているロビーを想像していたので、元旦から多くの人が飛行機を利用することを知り、たいへん驚いた。 

 幸いにも石垣行きの窓側(A列)の席を確保できた。朝6時35分頃ANK551便は石垣島を目指して離陸、羽田空港はまだ暗く、空は雲に覆われていた。
飛行機は多少のゆれを伴いながら、雲の中を上昇し続ける。
雲をつっきると澄みきったダークブルーの空が広がっていた。
雲の上に出てから水平飛行をつづけていると、東の雲が、灰色、白色からオレンジ色に、そして赤く染まり、2003年の初めての太陽が、雲の下から姿を表わしてきた。
生まれて初めて経験する雲の上での初日の出である。
思わず太陽に手を合わせた。太陽が姿を表わしてから2分程度は太陽を直視できた。
オレンジ色の大きな風船がゆっくり上昇していくようにも見えた。
3分を過ぎるとまぶしく直視できなくなった。

 羽田を飛び立ってから3時間20分、飛行機は高度を下げ雲のカーテンを突き抜けると、
南の海が眼下に広がる。石垣空港に近づくと、島を取り囲むサンゴ礁が見えてきた。
空の上からのサンゴ礁の海の色は翠(みどり)であった。
到着すると急いで空港の外に飛び出し、持参した温度計で気温を測定すると24度であった。
亜熱帯の空気は、暖かくネットリしている気がした。
空港のカウンターでソーキそばを食べ、ANK932便に乗り那覇へ向かう。

 早朝の羽田を後にしてから7時間30分、ようやく羽田に戻ってきた。
羽田での乗り継ぎのために小型バスが用意されていた。
私と同様、乗り放題チケットを駆使して日本中を飛び回っていると思われる人々が何人も乗り込んでくる「オタク協会ご一行様」という感じのバスであった。
そのバスに乗り込み周りの同類項の人たちを眺め、自分もこのオタク集団の一員であることを自覚し、自虐的に笑ってしまった。

 「釧路行きは35分の余裕があるが、宮崎行きは25分しかないので、この一日乗り放題の中でこの羽田での宮崎への乗継が一番きついです。でも伊丹でも・・・」
と各空港での乗り継ぎ時間をそらで話しているお兄さんがいる。
「凄い、飛行機の運航表が頭に入っている」
と感心する。オタクの大将といえるそうな風貌のお兄さんが、
「私は次に宮崎に飛んで、次に福岡、そしてまた沖縄に戻り、今日中に東京に戻ってきます。」
と大声で話している。
「これはまずい、通算飛行距離で負けるのでは」
と内心心配になった。

 釧路行きANA743便の中で運行表をもらい飛行距離を計算すると、オタクの大将の「羽田→宮崎→福岡→那覇→羽田」が2212マイル、私の「羽田→釧路→羽田→福岡→羽田」が
2242マイルで私の方が30マイル長かった。
何がハイレベルかと言われると困るが、その時は「オタクの大将と何か凄くハイレベルの戦いを行い、その戦いに勝った」ということでうれしかった。

 また飛行機に乗り込むと阿部さんというフライトアテンダントが、
「高橋様いつもご利用有難うございます。本日、何フライト目ですか?」と尋ねてきてくれた。
「これが4フライト目で、釧路から羽田に戻り、更に福岡を往復します。予定通り進めば日本記録になります。」と返答すると、
「私どもが責任を持って、釧路から羽田までお連れいたします。」と笑顔で応えてくれた。