*ニシアキさんのダラムサラ旅行記
女にしては超少ない荷物と活仏ダライ・ラマ14世のお姿とお話に触れる!という壮大な?夢を抱えて、亡命チベット人が創り上げた楽園・インドのダラムサラへ一人で行ってまいりました。

 真夏状態のデリーから夜行バスに揺られること14時間。
当然エアコンなどない年代モノなバスの車内は深夜まで超~~~暑くて、電気がついていようと皆さん窓を開けまくるから砂埃と蚊が山と入ってきて~・・ちょっと地獄(T_T)
なので暑くても身体を毛布(行きの機内でのいただきもの)でくるんで刺されないよう頑張るしかなく、更に地獄でしたけど、足はサンダルタイプにストッキングだったので守りようがなく~
Gパンの下、足首から下の部分でいったい何箇所刺されたかしらねぇ・・・。
どんどんかゆくなっていくのにどうしようもなくて、
アジアの蚊ってヤバイのもあるのにギャー(>_<)でした。
首から上も守りようがないので、顔を刺されないかうっかり寝ることもできなかった・・・。

 それでも必死にテンション上げながら耐えた甲斐があり、辿り着いた山の上には感動すら覚えるほどの立派な街(小規模だし村チックかな)が広がっていたのです。

 法王のTeachingは、2004年は3月7~21日でした。私が着いたのは
20日早朝で終わるギリギリというか、もう仕上げの儀式に移っていたようで、寺院に入る為のパスはこんなギリではもう「作成不可能!」と、にべもなく断られてしまいました。
始まる前か遅くとも中間くらいまでに写真とパスポート持参でオフィスへ行けば作ってもらえたらしいのですが、日本でほとんど情報収集ができなかった土地なだけに、そんなの知りようもなかったわけです。

 で、当然私は絶望しました。はるばる何しに来たんじゃー!!と。
でもあっさり諦めるわけにはいかないので、とりあえず日本語で助けを求められるとこ~ってことで日本のNGO団体が活動の一環としているルンタ・レストランへ。
出発前にHPを通じてこちらのプロジェクトの活動を知り、大変感銘を受けて軽い食材運搬を申し出ていたこともあり、品を持ってご挨拶がてらどうにか入る方法はないものかと相談に出向いたのです。

 そしてその日はパスがない人間はやはり無理だろうけど、最終日はプジャと呼ばれるお祈りの日だから多分誰でも入れるんじゃないかと聞いて、法王は翌日の最終日に賭けることにしました。

実際は昼間下見のつもりで寺院へ行くと、パス所有の現地在住の友人Tさんの後ろにいたら
何も見せていない私まで入れてもらえてびっくりしたのですが、
法王はもう見えない位置でお話をされている最中だったので、その日は図書館やご神託に
使われる寺院など他を案内していただきました。
たまたま入れたものの法王の身に何かあっては大変ですからセキュリティチェックは
身体も荷物も一応厳しくされていましたし、今後行く方は安易に考えずきちんとパス持参で
出向けるようにした方が良いでしょう。
パスはいい記念にもなりますから私もできれば作ってもらって持ち帰りたかったです。

 お世話になったルンタは日本食レストランとして現地では有名・人気のおいしい大繁盛店で、
折角だから何か少しでも役立ちたいと無理にお願いして、その日の夜に4時間程怒涛の洗い場をお手伝いに行きました。
着いてそのまま歩きまわっていたほぼ一睡もしていない日の夜だったのに、なんか旅先だとワケ分かんない体力とテンションであり得ない動き方ができるんですよね~~
人間大事なのは気合です。

 ダラムサラには法王率いるチベット亡命政府があり今も自国の自由と文化を取り戻す為に
懸命に努力をされていて、日本含め世界中から支援が続けられています。
ルンタもその1つで、メールのやり取りに始まり現地で短時間とはいえスタッフの方々と触れ合えたことで、私はより印象深い旅をすることができました。
山の頂上にあるような街なので空気はおいしく眺めも良く、インドにしてはキレイで便利でお店の人も大変感じがいいのです。

あの国は専ら交渉主体ですが元々充分安いので、値切るなんて逆にあさましく思えて
有難く相手の言い値で買物も楽しめました。

ゼロからの出発でここまで頑張ってこられた方々に敬意! で、こちらもなんか相手の立場を考えた優しい気持ちで歩けてしまうのです。

 私は無宗教ですが法王を直に拝見するなんてなかなかできない体験ですから、本当に有難く、チベット仏教美術も曼荼羅とかあまりにキレイですっかり魅せられてしまいました。
お金持ちさんには是非ノルブリンカのステキすぎるチベット土産達をネット購入可能なのでオススメしたいです。
クッションカバーとかランプとか、アジアンな部屋を作りたい人にはこれ以上ないだろうってくらいにシックでオシャレなデザインが満載でした。
いろいろ買いたくても貧乏旅行者で荷物もあまり増やすと動きが取れなくなる私には工芸ミラーとフォトスタンドが精一杯でしたが、独特でとてもキレイなので家族に大好評でした。

 復路は寝台列車にしたので鉄道駅のあるパタンコットまで2時間強の山道ドライブです。
これがアトラクション並に過激なので、車酔いしなければある意味楽しいはず。
実際私はヤケ気味にはしゃいでいましたが・・・大変疲れます。
丁度外国人引揚日だった為2等寝台は満席で1等でしたが、私の列車は普通は付いているらしい食事がなしで希望者は有料で注文形式でした。

 乗り込んでみると4人用コンパートメントに他は3人のおじ様・・・優しくユーモアがあって別に女一人は良かったんですけど、寝るとなって悲劇に気づいたんですよね~~~
もうすんげーすんげーいびきの大合唱で・・・あれじゃクマさんと一緒です(^_^;)
どういう人と一緒になるかは運ですし、これはインドに限らずどこでも誰かと一緒の寝台なら起こりえますけど(とはいえ何度も海外で寝台経験しましたが、ここまでのは初だった)私はこれもあってデリー・ダラムサラ間は夜行バスが実は1番いいのかも・・って気がしました。
安いうえバスだと姿勢的に熟睡までいかないのかいびきって気になるほどないものですし、
坂道を飛んだり跳ねたりで進むこともないですから。

 とにかく真下のインド人が獰猛な親クマで地響き状態だったのでねぇ~~~
耳栓も意味がないくらいで睡眠は諦め、12時間の移動はひたすらMDを聴いて過ごしました。
くじけそうな時に必要かもと好きな曲を集めてわざわざ持参したのが私的には正解で、なかったらあの往復移動は初めての者には割と気味だったかもしれません。

 A/C付車両はかなりの冷房と聞いていましたが備え付け毛布で充分でしたし、高地のダラムサラは涼しめではありましたが道中一度も寒くて困るって感覚はなかったです。
よって持参毛布は列車でも不要で無用の長物と化し、デリーでリクシャおじさんとの交渉の1つの道具にして「~ドルとこれとでどうだ!手触りだっていいんだぞ!」とあげて処分しました。
だって多少多めに考えていたはずの現金が見事に底をついちゃって・・
成田からの交通費を着いてから作るハメになったくらい、現地では魅力的なモノにたくさん会えちゃいましたから。

 思えばある曲を聴いて涙して、「なんか今のままじゃダメ!!このまま終わるな自分!」ってことで久々に古巣のエムトラHPを訪ねたわけです。
そしたらたまたまTeaching前で「ダライ・ラマに会いに~」が紹介されていて、ピタっと気持ちがハマったわけですね。今の私が行くべき場所はココしかない!っていう。

 周囲には充分人の数倍の濃度で生きてるから、その状態のどこにダメ出しが必要なの?心配しなくても日々やり過ぎなくらい懸命に生きてるじゃん!と言われまくって、逆に骨休めしてこいと送られましたが土地的にそりゃ無理な話で・・
元々寝付が悪いのもありハッキリ言って1回も熟睡のなかった旅でした。

 でもその曲を歌う大好きなグループに後押しされてたどり着いたといえるダラムサラは、
諸々がまさに導かれるように決まっていったなんか不思議な旅だったな~と。
とにかく他では味わえない「心に残る出会いに満ちた旅」ができて良かったですし、
縁あって多少関わったチベットのことを今後も微力ながら応援していきたいと思っています。

 また行きたいな~
既にあの行程が懐かしいから2度目はきっと余裕さ(^^)v

★FREE TIBET!!★
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