*2003年元旦 高橋さんの国内線1日移動日本記録樹立の旅
私は普段からチャンスがあれば実現したい「チャレンジ」を1ダースほどストックしている。
例えば、
1:修行もせず、あまりお金もかけず、お手軽に日本記録を樹立したい
2:日本の広さを実感してみたい
3:送った人の記憶に長く残る年賀状を作りたい
などである。
2002年の10月のある日、全日空の「12/1,1/1、2/1、3/1、1日乗り放題1万円」の宣伝を新聞で読んだ。この宣伝を見た瞬間、これらの一見つながりのなさそうな3つの「チャレンジ」が頭の中で渾然一体となり、「このチケットを利用して日本の北から南まで飛び回り、移動距離の日本記録を作り、それにちなんだ年賀状を作れば、3つの「チャレンジ」をまとめて実現できそうだ」とひらめいた。
居ても立っても居られなくなった。
まずインターネットで全日空のホームページを開き、10月2日付けのプレスリリース「12月1日ご搭乗分「1日乗り放題」運賃の初日発売状況について」を見た。
「最大移動距離 → 約6,100km(8区間計):羽田→石垣→沖縄→宮古→沖縄→大分→関西→札幌→羽田の合計8区間ご利用で、合計3,792マイル(マイレージ積算距離に基づく)=約6,100kmとなります。」という情報が記載されていた。
「そうか、6100km以上飛ぶのが、一つの目標だな。」ということがわかる。
10月中旬から下旬にかけて、全日空を中心に他の航空会社を含め、年末年始運行表を見ながら、何日もルートを考え続けた。
1月1日の乗り放題切符の発売は、11月1日9時30分であった。
その日は福岡出張であり、9時15分福岡空港到着、発券カウンターに並び、9時30分の発売を待つ。9時32分に石垣島の予約を入れるが、9時30分から32分までのわずか2分の間に、羽田→石垣便は「全席売り切れ」となった。
かなりの時間とエネルギーを投入して完成度の高いプランを用意していたので、「売り切れ」の一言に目の前が暗くなる感じがした。
しかし、気を持ち直し「捨て金(1万円)」覚悟で石垣以降の6フライトの予約を取り、羽田→石垣便の空席待ちをお願いした。
3日後に空席待ちで石垣のチケットが取れ、しかも"乗り放題"の一部としてチケットとして取れたという連絡を受ける。素直に喜んだ。
この時、全日空の広報に「今回のチャレンジが国内線1日移動距離日本記録になるかの調査と、記録達成時に証明書の発行」というお願いをした。
12月中頃に全日空から「日本記録」であるとう連絡をいただく。
飛行ルート付きの日本地図をデザインした年賀状を至急作成し、当日予定通り飛行機が飛べば「日本記録、日本の広さの実感、印象的な年賀状」の3つを一度に達成できることになった。
2003年度の年賀状には、更に日本地図と飛行ルートが示されている。
その年賀状を2002年の年末に300枚発送した。
2003年元旦、記録挑戦 元旦早朝5時20分に我が家を出発し、5時45分に羽田に到着すると、羽田の出発カウンター前のロビーは、普段の8時代より混雑していた。
閑散としているロビーを想像していたので、元旦から多くの人が飛行機を利用することを知り、たいへん驚いた。
幸いにも石垣行きの窓側(A列)の席を確保できた。朝6時35分頃ANK551便は石垣島を目指して離陸、羽田空港はまだ暗く、空は雲に覆われていた。
飛行機は多少のゆれを伴いながら、雲の中を上昇し続ける。
雲をつっきると澄みきったダークブルーの空が広がっていた。
雲の上に出てから水平飛行をつづけていると、東の雲が、灰色、白色からオレンジ色に、そして赤く染まり、2003年の初めての太陽が、雲の下から姿を表わしてきた。
生まれて初めて経験する雲の上での初日の出である。
思わず太陽に手を合わせた。太陽が姿を表わしてから2分程度は太陽を直視できた。
オレンジ色の大きな風船がゆっくり上昇していくようにも見えた。
3分を過ぎるとまぶしく直視できなくなった。
羽田を飛び立ってから3時間20分、飛行機は高度を下げ雲のカーテンを突き抜けると、
南の海が眼下に広がる。石垣空港に近づくと、島を取り囲むサンゴ礁が見えてきた。
空の上からのサンゴ礁の海の色は翠(みどり)であった。
到着すると急いで空港の外に飛び出し、持参した温度計で気温を測定すると24度であった。
亜熱帯の空気は、暖かくネットリしている気がした。
空港のカウンターでソーキそばを食べ、ANK932便に乗り那覇へ向かう。
早朝の羽田を後にしてから7時間30分、ようやく羽田に戻ってきた。
羽田での乗り継ぎのために小型バスが用意されていた。
私と同様、乗り放題チケットを駆使して日本中を飛び回っていると思われる人々が何人も乗り込んでくる「オタク協会ご一行様」という感じのバスであった。
そのバスに乗り込み周りの同類項の人たちを眺め、自分もこのオタク集団の一員であることを自覚し、自虐的に笑ってしまった。
「釧路行きは35分の余裕があるが、宮崎行きは25分しかないので、この一日乗り放題の中でこの羽田での宮崎への乗継が一番きついです。でも伊丹でも・・・」
と各空港での乗り継ぎ時間をそらで話しているお兄さんがいる。
「凄い、飛行機の運航表が頭に入っている」
と感心する。オタクの大将といえるそうな風貌のお兄さんが、
「私は次に宮崎に飛んで、次に福岡、そしてまた沖縄に戻り、今日中に東京に戻ってきます。」
と大声で話している。
「これはまずい、通算飛行距離で負けるのでは」
と内心心配になった。
釧路行きANA743便の中で運行表をもらい飛行距離を計算すると、オタクの大将の「羽田→宮崎→福岡→那覇→羽田」が2212マイル、私の「羽田→釧路→羽田→福岡→羽田」が
2242マイルで私の方が30マイル長かった。
何がハイレベルかと言われると困るが、その時は「オタクの大将と何か凄くハイレベルの戦いを行い、その戦いに勝った」ということでうれしかった。
また飛行機に乗り込むと阿部さんというフライトアテンダントが、
「高橋様いつもご利用有難うございます。本日、何フライト目ですか?」と尋ねてきてくれた。
「これが4フライト目で、釧路から羽田に戻り、更に福岡を往復します。予定通り進めば日本記録になります。」と返答すると、
「私どもが責任を持って、釧路から羽田までお連れいたします。」と笑顔で応えてくれた。
羽田から北の空は晴れており、房総半島、霞ヶ浦、水戸・日立、福島空港、郡山や太平洋岸の原子力発電所、仙台空港、松島、牡鹿半島、三陸のリアス式海岸などを飛行機の窓に額を摺り寄せながら、ただボーと眺めていた。
元旦の東北地方は雪化粧状態であり、初春の柔らかい光に照らされ美しかった。
飛行機が釧路に到着したときは、既に日は暮れていた。
急いで空港の外に飛び出すと、照明に照らせた雪が白く光る銀世界であり、外気はピリピリと皮膚を刺激する氷点下6度であった。
5時間半前にいた碧(みどり)のサンゴ礁の島"石垣"とは、ちょうど30度の気温差である。
日本は、思いのほか広いことを実感できた。
次は、釧路から福岡への旅だ。もう夜のフライトである。
さすがに身体がくたびれてきたせいであろうか、飛行機の狭いシートに横たわりながら
「なんで、こんなことやっているんだろう」などという否定的な思いが頭をよぎる。
ちょうどその頃、先ほどのフライトアテンダントの阿部さんが、ANAのポケモンカードに励ましのメッセージを書いて持ってきてくれた。
かわいい女性からカードを貰うと、また身体も心もお元気モードに戻った。
夕刻7時頃に羽田に戻り、急いで本日6回目の7時15分発ANA265便福岡行きに乗り込む。外を見ても何も見えないので機中では本を読んでいた。21時福岡着。
福岡から私と同じく東京へ戻る方が一名おられた。
この方も飛行機のことが詳しく、「国内線は飛行機の機体を長持ちさせるために国際線と比較して室内の与圧が低く、そのため疲れやすいんですよ。」などという薀蓄(うんちく)を多数語ってくれた。
「なるほど、これまでの飛行時間の総計はロンドンへ飛ぶときとそれほど変わらないのに、身体の疲労感は確かに今回のほうが格段に大きいですね。」などと返答した。
このような話に感心していると、「全日空990便で東京へ向かわれる高橋泰様」と呼び出しがかかる。出て行くと本日の飛行の証明書が用意されていた。
夜の9時30分に福岡支店長代理の方より記念品を添えて証明書を授与された。
全日空の広報にお願いしたことが、実現したのだ。
やはり駄目もと精神で、希望することは言ってみるものだ。
元旦の日本記録の良い記念品が手に入った。
このとき私は年末に作成した年賀状の文面に間違いがあることに始めて知った。
私は1マイルを1.608キロと計算していたのだが、飛行機の国際海上マイルを用い
1マイル=1.852kmなのだそうである。
私は、年賀状に示した7560kmではなく、実際は1日で8713km飛ぶことになるらしい。
計算間違いを正していただいたおかげで、日本記録が1153km伸びた。
21時35分羽田を目指しANA744便は福岡をあとにした。
23時羽田に到着。
お金もあまりかけず、修行も行わず、非常にお手軽に日本記録樹立の瞬間でもあった。
これ以上お手軽な日本記録もそうないだろう。
また、日本の広さを十分に満喫できた。
家に帰ると、「今日一日テーブルの上に高橋さんからの年賀状を置き、今どこに居るのかを確かめながら一日を過ごした」というような内容のメールが何本も届いていた。
今年も、面白い年になりそうである。
後日談。
高校の同級生である本保君より、1月9日に以下のようなe-メールが送られてきた。
本保君は、NHKの航空関係の記者であり、飛行機事故などが発生するとニュースなどでレポートを行う彼の顔を見かけることがある。
当然、航空関係の知り合いも多い。
『高橋泰様、 たいへんご無沙汰しています。
元日には、全日空フライトでの記録達成、おめでとうございます。
貴殿のバイタリティには恐れ入ります。
仕事の関係上、全日空関係者とも時々話をする機会があるのですが、貴殿の行動は、
そのユニークさ故に、全日空社内でも多くの人が覚えていたようです。
きょうは泰の記録話で盛り上がってしまいました。
幾らか新たに分かったことがあったので、参考までメールしておきます。
全日空によると、元旦の乗り放題サービスで、旅行が可能だった最長のルートは、
月間エアライン誌の『読者応募の最長ルート』にもある通り、
A)羽田→那覇→関西→新千歳→福岡→那覇→羽田 の計4795マイル(8880キロ)
で、 もし、このフライトを体験した人がいれば、泰が記録した
B)羽田→石垣島→那覇→羽田→釧路→羽田→福岡→羽田 の4705マイル(8713キロ)
を やや上回ることになります。
12月中旬、泰から、熱心なと言うべきか執拗なと言うべきかの問い合わせを受けた全日空
の担当者は、真面目に調べた上で、「石垣島を使わないと一位にはならない」と答えて
しまったそうですが、実際には、石垣を使わないA)というルートが最長だった。
ところが、A)ルートを予約した人は実際にはいなかったということで、結論的には、
泰の最高記録は間違いないようです。 なお、泰に手渡された証明書のコピーを、
全日空から受け取りました。 担当者は「高橋様からお叱りを受けてしまう」と言っていましたが
「本来、発行することになっていない証明書を、無理矢理発行させた 高橋も高橋だから」と
言って、私も無理やりゲットした次第(笑)。 そんな全日空を許してやって。
&こんなことを書いてしまう私も。』
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